昨日2020年9月5日、平成仮面ライダーシリーズ第12作目『仮面ライダーオーズ』が放送10周年を迎えました。

© 2010年/東映/tv asahi

ギャグとシリアスを織り交ぜたストーリーや秀悦な伏線、人間である主人公と怪人である相棒の絆などが高く評価されており、放送終了から10年経った現在でも未だに根強い人気を誇っています。

そんな記念すべき時なんだからブログ記事もオーズにするしかないでしょ!と思い、今回は仮面ライダーオーズの怪人から考察していこうと思います。

 

仮面ライダーと怪人、どちらが正義だと思いますか?

「そりゃ仮面ライダーでしょ!だって仮面ライダーは正義の味方なんだから。間違った相手をやっつけるのは当然!!」

じゃあ「間違った相手」って何なんでしょうか?

何を基準に間違えているのか?

そもそも「正義」って何を基準としているのか?

現代社会を例に考えてみましょう。

「コロナ渦で外出自粛が叫ばれる昨今、県外からやってきたウイルス保菌者かもしれない人を追い出すために石を投げる、自宅に嫌がらせをする」

この場合、「ウイルス保菌者=悪・石を投げる人=正義」と位置付けることはできるでしょうか?

石を投げる側は自分たちが正義の行いをしていると信じて疑いません。しかしここまでくると暴走に近いです。

度を超えた正義も悪へと変わる。

今回は仮面ライダーオーズから正義の在り方について問う、第21話『バッタと親子と正義の味方』第22話『チョコと信念と正義の力』より「バッタヤミー」を紹介します。

 

バッタヤミーとは?どんな怪人?

仮面ライダーオーズに登場するのは「グリード」と呼ばれる、その名の通り人間誰しもが持つ「欲望」を利用して暗躍する怪人たちです。

めぼしい人間を見つけては、その人間の願いを叶え欲望を解放し、そこから配下の怪人「ヤミー」を生み出します。そしてヤミーは宿主の欲望に忠実に従い暴れまわります。

宿主にとっては「叶えたい願い」であっても第三者からしてみれば「歪んだ欲望」と捉えられることもあり、その欲望の化身がヤミーという怪人となるわけです。

「バッタヤミー」はその中の一体であり、劇中に登場する正義感の強い男性の『世に蔓延る悪い奴を懲らしめたい』という願い欲望を叶えるために、ひったくり犯や暴走族、悪徳政治家などの悪事を働く人間たちを一方的に攻め立てました。

© 2010年/東映/tv asahi

宿主の男性の「正義感」を基に活動するため、登場した当初は無害な怪人としてみられ主人公たちも好意的に見ていましたが、徐々に苛烈で独善的な正義感を露わにしていき、男性が「悪」と判断したものに対してはどれだけ小さなものであろうと過敏に反応して、徹底的な制裁を加えるようになりました。

 

 

『自分が正しいと思うと周りが見えなくなって、正義のためなら何をしてもいいと思ったり』

『正義のためなら人間はどこまでも残酷になれるんだ』

 

 

劇中で主人公が言った一言。まさに今の世の中を言い表している気がします。

最終的にバッタヤミーは、そのやり過ぎな正義を見かねて仮面ライダーオーズによって倒されます。

劇中では主に徒手空拳で戦い、「とう!」と叫びながら飛び蹴りを放つシーンがありました。

モチーフもさることながら、「正義」を掲げるその姿は、あの伝説の戦士を彷彿とさせます。

「バッタの戦士が正義の名の下に過激な正義を遂行」…なんという皮肉でしょうか??

物語の中で宿主であった男性は、自身の正義を信じ司法試験を受けますが落ちてしまった後に家族を蔑ろにしてまで私刑を下す独善的な存在となりましたが、事件解決後は家族を守るためにもう一度司法試験に挑む道を進んでいます。

 

 

「正義」とはどういったものか、あなたは説明ができますか?

仮面ライダーオーズという作品全体を象徴するテーマが『欲望』であり、第21話・第22話のテーマは『正義』となります。

『正義感の強さも時として暴走した欲望となる』

勧善懲悪を基本テーマとするヒーロー作品に一石を投じたエピソードの一つです。

 

では『正義』とは何なのか?誰かに質問された際にどう答えればいいのか?

単純に「悪い奴を懲らしめる良い人のこと」と言ってしまえば片付くかもしれませんが

じゃあ、その「悪い奴」というのは何なのか?「良い人」というのは誰から見て「良い人」なのか?

僕は年齢を重ねるにつれて正義の定義というものが分からなくなっています。

ヒーロー作品をはじめ時代劇や刑事ドラマ、いわゆる「勧善懲悪」系の作品は悪を徹底的に懲らしめる正義の味方が必ずいます。

でもその正義ってあくまで主人公サイドや視聴者目線の話です。

おそらく物語の中で悪に置かれている人たちにとっては「自分たちが正義であり邪魔する相手が悪」という認識だと思います。

 

「正義と悪は立ち位置によって変わる」

 

「別にそんな深く考えなくても自分の信じたものを正義と捉えればいいんじゃないの?」と言う人もいるでしょう。

ではそんな人にはこの言葉を贈ります。

人気漫画「ONE PIECE」よりドンキホーテ・ドフラミンゴが放ったセリフ。

 

『”平和”を知らねえガキ共と”戦争”を知らねえガキ共の価値観は違う!!!』

『頂点に立つものが善悪を塗り替える!!!』 『正義は勝つって!? そりゃあそうだろ』

© ONE PIECE/57巻

「”正義”とはその瞬間上に立った者が自分の都合のいいように変えた世界」と解釈できます。

考えてみればそうですよね。歴史の教科書で学んだ出来事も、その時代時代の勝者が後世に自分たちのカッコいいところを伝えたかっただけかもしれませんし。独裁国家でも民衆に自分たちが全てであることを教え込んでいます。革命家と称したテロリストも該当するでしょうね。

自分の価値観を信じ過ぎるあまり暴走。自分と異なった存在は徹底的に排除する。出る杭は打つ。丸いものは丸いまま。

これは今の世の中だと何に当てはまるのか。

ネットリンチ・特定班・加害者家族叩き・自粛警察etc.

どれもこれも歪んだ正義感から生まれたものです。

正義について100人に質問すれば100通りの答えが返ってくるでしょうね。

正義に関する正しい定義なんてないんでしょうね。

 

 

まとめと考察:「正義」に一つ加えて考えてほしいこと

大なり小なり「悪い奴は許さない」という考えは誰もが持っているごく普通の感情です。

素晴らしいことではありますが、一方的な固定概念に囚われているとたちまち自身が悪へと変貌する危険性も持ち合わせています。

目の前に自分にとって許し難い悪意が現れれば、正義感と怒りが一気に膨れ上がる人間もいるものであり、「○○を制裁してやりたい」「○○が酷い目に合えばいいのに」と考える物も少なくありません。

当たり前のことですよね。間違っていることを正そうとして何が悪いって話ですから。

正義と悪は表裏一体であり、全ては責任と使い方次第になります。

ではその使い方を誤らないためにはどうすればいいのか?

難しいことではありますが、正義に加えて「幸福」というものを考えてみてはいかがでしょうか。

人は皆、幸福を与えられます。これは平等であり侵されることは決して許されません。

自分にも平等に幸福が与えられる限り、相手の幸福を奪う権利がどこにあるでしょうか?

自身の正義を遂行する前に相手の幸福を考えることで、より自分の正義感と言うものが試されてくるのではないでしょうか?

オーズ劇中でも、バッタヤミーの宿主となった男性は、自分よりもまず家族の幸福を考えるようになるというハッピーエンドで幕を閉じました。

いわゆる「自粛警察」と呼ばれている人たちも、これから石を投げる相手の幸福を考えることはできないのでしょうか?

小さな幸せを守れない人間が正義の為に動くと、いずれ悲惨な末路を辿ります。

気付かず一線を越えてしまうよりも、「自身が正義と悪のどちらの立ち位置にいるかを見極めるために、幸福を基準にしてみてはいかがか?」というのが僕自身の見解です。

 

 

最期に…

仮面ライダーオーズ10周年、おめでとうございます!!

 

正義の在り方について問う仮面ライダーオーズ第22話はこちらでcheck!

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